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コンテンポラリーダンス「談ス」観賞

2018.06.01 | 01:16

5月31日、アステールプラザ中ホールにて、「談ス」の公演を観てきた。

大植真太郎と平原慎太郎、そして俳優としても活動する森山未來の3人が組んだダンスユニット「談ス」。

左上に「凸」。右上に「し」。左下に「凹」。そして右下に「る」。上からでも横からでも好きに読んでよいそうだ。

 

作品は、金色に染められたスライムを使って様々に、身体運動やダンス、パートナリング、台詞などを使い、作品は展開されていった。

境界線をサブテーマにしている作品のようにも感じた。

成長⇆老化・引退⇆再開・芸術⇆趣味、演じる⇆演じない、このエリア⇆あのエリア、などなど、、、

日常的に曖昧なところの境界線を今一度考えてみようと言う作品であったように思う。

真逆のものであっても、それは同じ所に同時に存在するものだ。

金色に染められたスライムがその分離された思考を結合する役割で、ネバネバは菌と言う意味なのか?と思った。

金と菌を掛けたのかも(そこはお茶目である)

そのネバネバはちぎって分ける事も出来る。

でも重ねると一つにまたなってしまう。

スライムは面白い、分離したり結合不思議な物質だ。

舞台の結末は、そのネバネバで概念として分けられているものを、くっつけてみて終わった。

 

 

この世の中には曖昧な言葉は沢山ある。

好き⇆嫌い 敵⇆味方 健康⇆病 忠誠⇆裏切り 幸せ⇆不幸 などなど 

自分はこれらの曖昧な境界線の間にいつも存在しているのではないかなと思う。

それは無情にも、いつも形を変えてしまう。

自分が望んでいても、望んでなくても。

大きな宇宙の中に自分は存在し、その宇宙の中に生かされている。

あらがっても、淡々としていても、その宇宙のエネルギーの中にいる。

ただただ自然の中に身をおけば、私はいつもその間にいたんだと言うことに気づかされる。

だから私は境界線も尊重したいし、結合の中にいる事も尊重したい。

 

真逆のものであっても、それは同じ所に同時に存在する。

人生は表裏一体だ。

考えさせられる作品だった。

私は曖昧な境界線のその間にいつもいたいと思った。

 

 

 

 

 

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2018.06.01 |
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